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ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉 ジャン・ジュネの『シャティーラの四時間』について

October 5, 2010 投稿者 Paul

ジャン・ジュネの『シャティーラの四時間』について

老いるということは即ち若くなるということではないか。フランスの作家ジャン・ジュネ(Jean Genet 1910-1986)のパレスチナをめぐる晩年の軌跡を追っているとまさしくそう実感する。ジャン・ジュネは晩年パレスチナ解放運動に深くかかわっただけ ではなく、有名なサブラ・シャティーラのパレスチナ難民キャンプ虐殺事件のヨーロッパ人の最初の目撃者の一人であった。彼は遭遇したこの虐殺事件につい て、「シャティーラの四時間」(”Quatre heures à Chatila” dans l' Ennemi déclaré, textes et entretiens, Gallimard, 1991)という重要な文章を書いている。この文章は、この虐殺事件の貴重な歴史的証言であるばかりでなく、文学的にも極めて重要な意義をもっている。こ の文章の日本語訳は1988年に鵜飼哲氏によって『インパクション』51号(インパクト出版会)に掲載されたが、その後長い間一般に入手困難な状態が続い ており、しかるべき形での刊行が待望されていた。このたび、ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』(鵜飼哲/梅木達郎訳 インスクリプト刊)として、装 いを新たに刊行されることになった。

周知のとおり、同性愛作家ジャン・ジュネは、変った経歴を持つ。私生児として誕生するなり捨て子と なり、少年院を抜け出したあと、窃盗を繰り返し、男娼などをしながらヨーロッパを転々。しまいに投獄され監獄の中でポルノ小説を書き、終身刑に処せられた が、サルトル、コクトーらの著名人の署名運動によって特赦され、釈放後作家としての地位を得て文学活動を始めるも、今度はサルトルの批評(『聖ジュネ』) の分析の対象とされ、そのショックで虚脱状態に陥り、自殺未遂。戦後の話は戯曲などをいくつか書いていたのではないか。それがジュネの文学史上の一般的な 常識なのではないかと思う。ところが、重大なのはあまり知られていない戦後の軌跡である。サルトルの分析で全裸にさらされたジュネは自殺未遂までして虚脱 状態に陥り創作ができなくなったが、その後みるみるうちに再生をとげ、68年以降は政治運動に深くかかわった。そのひとつがアメリカの黒人解放運動ブラッ ク・パンサーであり、いまひとつがまさにパレスチナ解放運動だったのであった。これらの政治運動へのジュネの拘わり方は単にデモや署名運動に参加すると いった程度のものではなかった。ブラック・パンサーに関しては、アメリカに渡って、活動家とともに行動し、運動の内部にまで深く付き合った。パレスチナに ついても、1970年から72年まで2年にわたってヨルダン経由で現地入りをしている。ジュネはPLO議長のアラファトに会い、アラファトはジュネのため にパレスチナ全機関の自由通行許可を示すレターを書き、ジュネにパレスチナに関する一冊の著作を書くことを勧めたという。ジュネはアラファトのレターを もって、パレスチナ解放戦士たち(フェダイーン)と行動をともにしている。さらにジュネは1982年イスラエルのレバノン侵攻の際には緊迫したベイルート に潜入し、サブラ・シャティーラのキャンプでのパレスチナ難民虐殺事件に遭遇するに至ったのであった。

サブラ・シャティーラの虐殺事件 については、事件の進行中から現地取材を行ったジャーナリスト・広河隆一氏の『パレスチナ』(岩波新書)などに詳細が記載されているのが、1982年9月 16日から18日まで、西ベイルートに侵攻したイスラエル軍が近郊のパレスチナ人難民キャンプを包囲・監視する中で、キリスト教マロン派であるファランジ ストの私兵集団が、キャンプ内のパレスチナ人民間人1,800人以上(広河報告によるが実数未詳)を欲しいままに銃器や斧やナイフを使って虐殺した。殺さ れたのは男だけではなく、女性、子ども、老人、病人、医師、看護婦など文字通りまったくの無差別虐殺である。イスラエル軍は、3日に渡って、虐殺を続ける ファランジストに水と食料を与え続けて、夜になれば事の進捗が円滑に運ぶように照明弾をあげ続けた。イスラエル兵たちは虐殺を逃れてキャンプから出てきた パレスチナ人を虐殺が進行するキャンプへと追い返したという。ジュネは、イスラエル首相のメナヘム・ベギンのイスラエル国会での発言である「シャティーラ で、サブラで、非ユダヤ人が非ユダヤ人を虐殺したからといってわれわれに何のかかわりがあろう。」という言葉を「シャティーラの四時間」の冒頭に掲げてい る。この事件は、ユダヤ人が実はこのときすでにホロコーストの「被害者」から「加害者」に転化してしまっていることを示す象徴的事件ともいえるのかもしれ ない。

この時72歳のジャン・ジュネは、パレスチナ人女性活動家ライラ・シャヒードとともにイスラエル軍が侵攻して緊迫したベイルート に潜入しており、この虐殺事件の翌日の9月19日にシャティーラのキャンプに入っている。無数の死体の血の海となったキャンプの中で血だらけの足を引きず りながらジュネは彷徨い、横たわる死体と向き合っていたという。彼は、こうして事件後現地に入って虐殺現場を目撃した最初のヨーロッパ人の一人となったの だが、この体験をもとにして書かれたのが、「シャティーラの四時間」で、1983年1月に「パレスチナ研究誌」(Revue d'Etudes Palestiniennes)に掲載されている。また、同年12月にウィーンにおいてサブラ・シャティーラの虐殺事件に関する国際機関による公聴会に出 席した際に、ラジオ放送で重要な証言をしている(”Entretien avec Rüdiger Wischenbart et Layla Shahid Barrada” dans l' Ennemi déclaré)。

この日本語訳にして50頁ばかりの「シャティーラ の四時間」を読むと深い印象に心を動かされる。この文章は、60年代初頭以来ジュネが作家活動を事実上止めて執筆上の空白期に入っていたのを20年ぶりに 破った作品であるが、シャティーラの事件のことを記したとはいえ、単なるルポルタージュではなかった。82年のシャティーラにおける現在と70年初頭のパ レスチナ人達との交流に関する過去の追憶を交互につなぎ合わせて交錯させ、読者に重層的なイマージュを想起させる独特な手法を用いており、さらに、シャ ティーラでの体験の記述に関して言えば、ジュネがひとつひとつ通り過ぎていくパレスチナ人の死体を詩的言語によって異様な重みをもった視覚的イマージュに 昇華させている。これによって、斧でかち割られて膨れ上がった頭の死体が、脳みそがこぼれ落ち血が飛び散った地面に転がっており、その死体には蛆と蝿が群 がり、異様な死臭が漂うキャンプの凄惨な現実がジュネの魔術的言語行使によって一種の夢幻的なréalitéに転化されている。たとえば、あるパレスチナ 人女性の死体である。「黒くふくれた顔は天を仰ぎ、蝿でまっ黒な開いた口を見せていた。歯がとても白くみえ、その顔は、筋肉一つ動くわけもないままに、し かめっ面をしたり、ほほえんだり、絶えざる無言のわめき声を上げているかのようだった。ストッキングは黒のウールで、ワンピースはバラ色とグレーの花柄、 わずかにめぐれているためか短すぎるのか、黒くふくれたふくらはぎの上部がのぞいていた。ここでもまだデリケートなモーヴ色が伴っていて、頬のモーヴ色と それに近い紫とがこの色調に応えていた。あれは内出血だったのか。それとも、日射しの下で腐敗して、自然にこんな色になったのだろうか。『銃床で殴打され たのでしょうか。』『ご覧なさい。ほら、この人の手をご覧なさい。』私は気づいていなかった。両手の指が扇状に開かれ、そして十本とも植木鋏のようなもの でたち切られていた。小僧っ子のように笑いこけ、上機嫌で放歌高吟する兵隊たちが、見つけた鋏を面白おかしく使ってみたのだろう。」(本書20~21頁)  この指を切断された女性の死体はジュネの心を強く打ったらしく、ジュネは上述のウィーンのインタビューでも言及しており(本書96頁)、さらに遺著『恋 する虜』では、このパレスチナ人女性の死体のイマージュから、まるでサイコメトリーのように、この女性が殺される瞬間のさらに恐ろしい鮮烈な映像を想起し ている。

このような記述は、かつてサルトルが『文学とは何か』で提示したルポルタージュ言語に基づく文学理論とはまったく別の境地に 立つものと言えるだろう。ジュネは、サルトルがそのアンガージュマン文学から追放した詩的言語を逆に徹底的に駆使して彼独自のアンガージュマン文学を生み 出したのではなかったか。この意味で晩年のジュネは、こと文学に関して言えば、かつて全裸にさせられるという辱めを彼に与えたサルトルをも実は大きく越え 出てしまったと言えるのではないだろうか。さらに言えば、ジュネが愛読したという象徴派詩人マラルメは、詩作にあたっては、言語に対応した現実を空無化し て、言語だけに基づく詩的世界を形成した。これに対して、ジュネの場合は、現実そのものは空無化できない重みをもって現前している。これはジュネが体験し た現実である。この現実をジュネは言語行使によって、その現実と緊張関係を失わない詩的世界へと魔術的に転換させたのだ。いわば、ジャン・ジュネの体験し たパレスチナという現実は、マラルメの詩とサルトルのアンガージュマン文学を繋ぐ糸とも言えないだろうか?

それにしても、捨て子にし て泥棒、男娼作家のジャン・ジュネは何故パレスチナ問題やブラック・パンサーにこれほどまでに強い関心をもって拘わったのだろうか?いや正確に言えば、 68年以降、作家であることなどジュネにはどうでもよかったのではなかったか。政治の世界にかかわり出してから、ジュネは文学的名声や地位などにはまった く関心がなかったように見える。そんなことよりも、国際社会の捨て子であるパレスチナや、アメリカの捨て子であるブラック・パンサーのほうが彼にとっては 親近感があったとも言えるだろう。1979年、ジュネは喉頭癌に侵される。病魔はしだいにジュネの身体を蝕んで、老いていく。だが、それに反してジュネの 姿は逆にパレスチナ人たちとの交流を通じてまるで次第に若くなっていくようである。シャティーラの体験の跡、ジュネは、パレスチナ解放運動を支援しなが ら、パリ、ヨルダン、モロッコなど各地を転々としつつ、彼の作家活動の空白期以降の総てを叩き込んだ著作の執筆に専念する。すなわち、遺著『恋する 虜』(日本語訳は鵜飼哲及び海老坂武訳により人文書院から1994年に刊行。原題は、Un captif amoureux, Gallimard 1986)である。500頁を越えるこの本はジャン・ジュネ最大の著作であり、彼が70年前後から拘わったパレスチナ体験を記述したものである。「シャ ティーラの四時間」で提示された手法をさらに敷衍させ、様々な時期の回想を意図的にばらばらにして繋ぎ合わせたものであり、サルトルが言うところのルポル タージュ言語の行使に徹底的に背いた散文詩であり、冒頭の書き出しからしてマラルメが意識されていることは明白である。それにしても、パレスチナ人たちに 向けるジュネの眼差しはなんと優しい眼差しだろう。パレスチナ人と行動を共にするジュネの姿は自己発見の過程だったのではないだろうか?死の数時間前まで この本の原稿に手を加えていたらしいジュネは1986年4月16日にパリのホテルの一室で死去した。出来上がった原稿の冒頭にはこう記されてあった。

「言葉のありとあらゆるイマージュをかくまってこれを使うこと、なぜならこれらのイマージュは砂漠にあり、そこに探しに行かねばならないから。」

本 書には、鵜飼哲氏の「シャティーラの四時間」の日本語訳に加えて、梅木達郎氏の訳になる上述のジュネのウィーンにおけるインタビューが納められている。そ して、「シャティーラの四時間」に関する鵜飼氏の独自の論考とジュネ及び「シャティーラの四時間」をめぐる最近の評価に関する詳細な解説も収められていて 興味が尽きない。いずれも、作家ジャン・ジュネの優れた研究者であるとともに、パレスチナ問題に常にアクチュアルに関り続けている鵜飼氏ならではの仕事と 言えるだろう。さらには、参考資料として、「パレスチナ国民憲章」の訳文が収録されているので、合わせて参考にされたい。パレスチナ問題に興味を持つひと だけではなく、文学とはなにかを真摯に考えているひとに広く本書を薦めたい。

(文責:ミーダーン 鈴木)

 

2010年 08月 20日
『鏡としてのパレスチナ』書評と刊行記念シンポ報告、掲載
ミーダーン編の『鏡としてのパレスチナ』(現代企画室)の書評を、栗原幸夫さんが書いてくださいました。『ピープルズ・プラン 51号』です。
3ページにわたって、長く幅広く市民運動を担われてきた栗原さんの視点から、紹介いただくだけでなく、現在の市民運動における本書の意義にまで論及していただきました。

また、同号には、『鏡としてのパレスチナ』刊行記念シンポジウムの簡単な報告も掲載されています。こちらもご参照ください。

# by midan_filastine | 2010-08-20 13:34

 
2010年 07月 07日
「ガザ虐殺を繰り返させないための共同声明」署名提出報告集
ミーダーンも呼びかけ団体の一つとなって署名を集めてきました、「ガザ虐殺を繰り返させないための共同声明」について、5月22日に外務省に対して署名提出を行なうとともに、その報告を兼ねて院内集会を開催しました。
その報告書が完成しましたので、以下の「パレスチナの平和を考える会」内のページからpdfファイルでダウンロードしてください。
ガザ署名運動報告集(PDFファイル、約3MB)

署名してくださいましたみなさま、さらに署名集めにご協力くださいましたみなさま、ご協力ありがとうございました。
# by midan_filastine | 2010-07-07 07:07

2010年 06月 10日
『〈鏡〉としてのパレスチナ』刊行記念シンポジウム(6月27日)の案内

ミーダーンが一年間かけて開催した連続セミナー「〈ナクバ60年〉を問う」が、編集・加筆を経て一冊となり刊行されました。たんにパレスチ ナ/イスラエルを多面的に論ずるだけでなく、そこに映し出される同時代とそこに生きる私たち自身を問い返すための、多くの契機を含んだ本になったと思いま す。

ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉編
『〈鏡〉としてのパレスチナーーナクバから同時代を問う』
現代企画室、2010年5月刊行、2520円(税込)

本書の刊行を記念して、シンポジウムを6月27日(日)に開催いたします。浜邦彦さんと大富亮さんをコメンテーターに迎え、それを受けて討議をおこないます。
また周知のように、現在パレスチナ/イスラエルをめぐっては、封鎖下のガザ地区に向けたヨーロッパからの人道物資支援船団がイスラエル軍によって多数の死 傷者を伴う激しい攻撃を受けたことをめぐって、世界的に大きな議論を呼んでいます。連続セミナーでも日本からパレスチナへの「関わり方」を自覚的に模索し てきたミーダーンとしては、当シンポジウムにおいても、この情勢を受けた議論をシンポジウムに組み入れたいと考えています。
ぜひご参加ください。

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『〈鏡〉としてのパレスチナ』刊行記念シンポジウム
〜〜イスラエルへの対抗言説から〈別の現実〉へ〜〜
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第一部 『〈鏡〉としてのパレスチナ』私はこう読む
[コメンテーター]浜邦彦(カリブ研究/早稲田大学)
大富亮(チェチェン・ニュース発行人)

第二部 現局面における支援/連帯とは:ガザ自由船団襲撃から見えるもの
[パネリスト] 鵜飼哲(フランス文学・思想/一橋大学)
太田昌国(南北問題・民族問題研究/現代企画室)
早尾貴紀(社会思想史/パレスチナ・オリーブ)
田浪亜央江(パレスチナ政治文化研究/ミーダーン)

■日時
6月27日(日)14時30分〜17時30分(開場14時00分)
※終了後、交流会があります。

■場所
在日本韓国YMCA 304・305教室
(東京都千代田区猿楽町2−5−5/JR水道橋駅より徒歩6分、地下鉄神保町駅より徒歩7分)
地図 http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/

■参加費 800円
※ただし、当日会場で『〈鏡〉としてのパレスチナ』を購入される方、またすでに購入してお持ちの場合は、同書を持参し受付で提示された方は、入場無料です!(入場料を払った後に会場で購入された方には、購入時に入場料をお返しします。)
なお会場では、書籍を当日限定で割引特価(2520円を2200円)にて販売いたします。ぜひこの機会にお求めください。

■主催
ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉
[郵便物送付先]〒162-0823 東京都新宿区神楽河岸1 - 1
東京ボランティア・市民活動センター メールボックスNo.114
[メールアドレス]midan.filastine@gmail.com
[URL]http://midan2006.web.fc2.com/
http://midan.exblog.jp/
[郵便振替口座]00160-9-353912(口座名義:ミーダーン)
# by midan_filastine | 2010-06-10 03:17 | お誘い・ご案内

2010年 05月 24日
連続セミナーの単行本化『〈鏡〉としてのパレスチナ』刊行
ミーダーンが一年間かけて開催した連続セミナー「〈ナクバ60年〉を問う」が、一冊にまとまりました。詳細な内容紹介や関連イベントの案内は後日発表しますが、とりいそぎ、刊行のお知らせだけさせていただきます。
ぜひお買い求めください。

ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉編
『〈鏡〉としてのパレスチナ——ナクバから同時代を問う』
現代企画室、2010年5月刊行、2400円(+税)



【目次】
はじめに・・・田浪亜央江
第一章 パレスチナの民族浄化と国際法
臼杵陽
阿部浩己
第二章 占領のノーマライゼーションと中東の分断
早尾貴紀
酒井啓子
第三章 アラファート時代の自治政府
奈良本英佑
太田昌国
第四章 アパルトヘイトの経験とイスラエル/パレスチナ
峯陽一
鵜飼哲
第五章 パレスチナ難民の法的地位と選択権
錦田愛子
板垣雄三
# by midan_filastine | 2010-05-24 23:20 | お誘い・ご案内

2010年 02月 13日
【3/13 メロン・ベンヴェニスティ講演】パレスチナの〈ユダヤ化〉
メロン・ベンヴェニスティ講演
パレスチナの〈ユダヤ化〉——破壊と収奪の歴史を透視する

[日時]2010年3月13日(土)
開場・受付開始/13時30分
開始/14時
講演“Tortured landscape: Settlement and dispossession in the Holy Land”
(虐げられた風景:聖地における入植と収奪)
(日本語逐次通訳あり、終了予定17時)

[参加費]1,000円

[場所] 東京麻布台セミナーハウス大会議室
東京都港区麻布台1-11-5
大阪経済法科大学東京麻布台セミナーハウス

[アクセス]
東京メトロ日比谷線「神谷町」駅から:1番出口から東京タワー方向に上
り坂を直進、徒歩5分
http://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/access.html
都営大江戸線「赤羽橋」駅から:徒歩8分
都営三田線「御成門」駅から:徒歩10分
http://kenshu.e-joho.com/azabudai/map.html

[ビラ]ダウンロード(PDF/1.3Mb)

■一瞬で破壊される家屋、根こそぎなぎ倒されてゆくオリーブの樹。何度
私たちは、こうした映像を目にしてきたことでしょう。

それはその家や土地の持ち主の長年の蓄積や未来への展望を一瞬にして打
ち砕く暴力であるばかりでなく、パレスチナの文化や歴史全体の破壊に向
けたプロジェクトの表現でもあります。イスラエルのブルドーザーは、個
々の家屋やオリーブの樹を破壊し根こそぎにすることによってパレスチナ
の風景全体を破壊し、同時に人びとの記憶やアイデンティティを奪い続け
てきました。風景とは、パレスチナの地で人びとが農作業を行ない、踊り
、食べ、祈り続けてきた生活のいとなみのすべてによって作られたものだ
からです。すさまじい破壊の後、ある土地は囲い込まれ朽ちるままにされ
、ある土地には全く異質な建造物が建てられ、そこにヘブライ語の名前が
一方的に与えられました。パレスチナの歴史に思いをはせようとする人び
とにとっても、それぞれの入植地やバイパス道路の下に眠るかつての光景
をありありと思い浮かべることは、もはや困難になっています。

このたび私たちミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉は、イスラ
エル建国前のパレスチナの丘や木立を原風景として育ち、シオニストの地
理学者であった父の仕事を批判的に継承してきた政治学者、メロン・ベン
ヴェニスティ氏を迎えることになりました。パレスチナの〈ユダヤ化〉政
策の内側を長年にわたり目撃しつつ、次第に批判を強め鋭く対峙するよう
になった同氏の証言は、徹底的にパレスチナを破壊し収奪してきた現在の
イスラエル国家の地図の向こうに、パレスチナの原風景を垣間見せてくれ
るのではないでしょうか。それは、現在なお続く〈ユダヤ化〉をくい止め
、別の未来への可能性が確かにあると考えるための一歩にほかなりません


その一歩をともに踏み出したいと考える方々に、参加を呼びかけたいと
思います。

■メロン・ベンヴェニスティ(Meron Benvenisti)
1934年エルサレム生まれ。政治学者。ヘブライ大学を卒業し、ハーヴァー
ド大学で博士号取得。1971年から78年までエルサレム副市長を務め、東エ
ルサレムを管轄した。父ダヴィド・ベンヴェニスティはイスラエル建国当
時の高名な地理学者であり、シオニズムの立場からの「愛郷教育」の基盤
を作り上げた一人。1982年に「西岸地区データベース・プロジェクト」を
立ち上げ、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ社会におけるイスラエルの入
植のインパクトを、人口・経済状況・土地所有などの観点から大規模に調
査。また2000年に刊行された主著“Sacred Landscape”において、父親世
代の地理学者らの功罪を批判的に検証する作業を行なう。現在は明確に反
シオニズムの立場に立ち、二民族一国家を支持する立場から、「ハアレツ
」紙上で論陣を張る。書著は他に、“Intimate Enemies: Jews and Arabs
in a Shared Land
”(1995年)、“City of Stone: The Hidden History of Jerusalem”(1998
年)など多数。

[主催]ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉
[共催]東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センタ
ー」(UTCP)
[連絡先] 〒162-0823 東京都新宿区神楽河岸1−1
東京ボランティア・市民活動センター メールボックスNo.114
ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉
[TEL]090-6498-6448
[URL]http://midan.exblog.jp/
[メールアドレス]midan_filastine@excite.co.jp
[郵便振替口座]00160-9-353912(口座名義:ミーダーン)


【招聘元の東大UTCPによるイベント全体については、
「パレスチナの〈破壊の歴史〉と〈共生の未来〉を語る」
を参照。】

# by midan_filastine | 2010-02-13 01:20 | お誘い・ご案内

2010年 02月 11日
「パレスチナに関するラッセル法廷」について
――何故、あなたが、この<法廷>を設立しその陪審員になろうと決意したのですか?
――あなたが、それをしなかったからにすぎません。
(ジャン=ポール・サルトル『シチュアシオンVIII』より)

一 昨年12月終りから年が明けた昨年1月半ばまで、イスラエルがパレスチナのガザ地区へ激しい攻撃を行ってから1年が過ぎたところです。イスラエルは、この 攻撃において、一般市民を巻き添えにした市街地攻撃や、白燐弾などの非人道的な兵器の使用などにより1400人以上を殺戮しました。これは明らかに看過し 得ない戦争犯罪と言えます。このような許しがたい戦争犯罪が公然と行われる状況の中で、国際社会には現在どのような抗議の動きがあるでしょうか?

昨 年5月31日に、「イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!」実行委員会が主宰をして開催されたシンポジウム「スピークアウトforアクション・イスラエル を変えるために」においては、板垣雄三さんが、1983年にイスラエルのレバノン侵攻に関する国際民衆法廷を組織した経験を語られ、戦争犯罪に対するこの ような民衆法廷の意義と重要性が指摘されました。さらに、板垣さんは、昨年に入ってから活動を始めた「パレスチナに関するラッセル法廷」を紹介されました (※1)。また、このシンポジウムの第三分科会では、戦争犯罪に対する告発を行うにあたって、国際刑事裁判所に多くの制約と限界があることが報告され、市 民レベルでの働きかけの重要性が指摘されました(※2)。今回のガザ攻撃を含む一連のイスラエルの戦争犯罪等の告発に関する国際社会の動向のひとつとし て、ここでは「パレスチナに関するラッセル法廷(Russell Tribunal on Palestine)」(※3)の活動概況と意義についてご紹介いたします。
※1 小冊子「イスラエルを変えるために」(「イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!」実行委員会編)27頁参照
※2 同小冊子 45~56頁参照
※3 専用URL:http://www.russelltribunalonpalestine.net/

周 知のとおり「ラッセル法廷」は、ベトナムで行われたアメリカの戦争犯罪を告発するために、イギリスの哲学者のバートランド・ラッセルが提唱したものであ り、フランスの哲学者のジャン=ポール・サルトルが議長となって1967年に開廷されたものです。当時はまだ国際社会に、国際刑事裁判所のような司法機関 が存在していなかったのですが、この法廷は、既存の国際法や協定等を頼りにしてアメリカのベトナム攻撃の違法性を告発したものです。サルトルは、「ラッセ ル法廷」の正当性は、その完全な無力さと普遍性に由来すると言っています。なるほどこの法廷は、司法機関ではなく、単なる私人の集まりに過ぎないから法の 執行はありえません。しかし、第二次世界大戦について、ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判は、戦勝国による敗戦国に対する裁きといわれるわけで すが、そこにおいて視点となった人道に対する罪という普遍的な基準を用いて、今度は戦勝国側のアメリカの戦争犯罪を裁くことができないか。そして、その戦 争の不当性を誰の目にも明らかなように客観的に国際社会に提示できないか。そういう告発を、誰でもいいただの人間が、一介の市民であるということによって 広く世界各国から選出しあって普遍的な法廷を形成して行うことに意義があるのではないか。当時の「ラッセル法廷」はそういう理念に基づいて開廷されたもの です。

昨年動き出した「パレスチナに関するラッセル法廷」も、以上のような「ラッセル法廷」と同じ理念に基づいて設置されています。この 法廷が目指すところは、現在イスラエル国家がパレスチナに対して行っている戦争、占領、植民地化に関する国際法違反と国際的な共犯関係を告発することで す。呼びかけ人は、ケン・コーツ(ラッセル平和財団議長、イギリス)、ヌーリト・ペレド(サハロフ思想の自由賞受賞、イスラエル)、ライラ・シャヒード (パレスチナ自治政府EU代表)の3名。この法廷の組織は、ケン・コーツら9名によって構成される国際運営委員会(International Organising Committee)、国際的な有識者によって構成される支援委員会(The Support Committee)、財政面、市民運動、マスメディアなどへの情報発信などの支援を行うあらゆる国に設置可能な国民支援委員会(National Support Committees)、法的な専門家や証言者を集めた専門家・証言者委員会(The Expert and Witnesses Committee)によって構成されます。いずれの組織も、参加者は各国政府や政治権力の代表という位置づけではなく、あくまで市民として参加します。

こ の法廷の多様性は、支援委員会のメンバー構成を見ればわかります。エチェンヌ・バリバール、ノーム・チョムスキー、ケン・ローチ、イラン・パペ、エリア ス・サンバー、ジョゼ・サラマゴ、ラジ・スラーニ、ハワード・ジンなど約120名の多彩なメンバーが揃っており、その国籍は、当事者たるパレスチナ及びイ スラエルはもとより、イギリス、フランス、アメリカ、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペイン、イタリア、スイス、南アフリカ、アルジェリア、エジプ ト、レバノン、パキスタン、タイ、インド、オーストラリア、ブラジル等多数です。このような多様性は、この法廷が特定の国家や権力を代弁しているのではな いことのひとつの指標と言えるのかもしれません。

この法廷の最近の活動としては、昨年12月16日に、ブリュッセルにおいて、セミナーを 行っています。ピエール・ガラン、ステファンヌ・エッセル、ライラ・シャヒード、マルセル-フランシス・カーン等が講演を行い、この法廷の枠組み、ガザ紛 争に関するゴールドストーン報告等の論評、EUの役割、法廷への準備などについて議論がなされたようです。そして、2010年3月1日から3日まで、バル セロナにおいて、最初の法廷が行われる予定です。この法廷においては、特に、欧州連合(EU)とその参加国が、イスラエルが行ってきたガザの封鎖や空爆、 パレスチナの資源の収奪、東エルサレム併合、分離壁建設等に関して、パレスチナ人民の自己決定権を尊重し、人道上の国際法を遵守することを怠らなかったか 否かという観点からその共犯性が裁かれることになります。この法廷の陪審員は、メリード・コリガン(ノーベル平和賞受賞・北アイルランド)、ジュアン・タ ピア・ギュズマン(判事・チリ)、ジゼル・アリミ(弁護士・仏)、シンシア・マッキニー(緑の党女性政治家・米)、マイケル・マンスフィールド(弁護士・ 英)、ジョゼ・A・M・パリニ(最高裁・西)、ロニー・カスリルス(作家・南ア)、アミナタ・トラオレ(作家・マリ)といった人々です。

こ の「パレスチナのためのラッセル法廷」には、いまのところ、日本からの参加者はないようです。日本は、パレスチナに関する市民レベルでの支援活動や学問的 研究についてはたいへん水準の高い実績がありますが、この法廷に日本からの参加者がないというのは、少し不思議に思えます。

それにして も、1967年と2009年のラッセル法廷の間にあるのは、40年以上という時間の流れだけでしょうか?1967年にベトナム戦争に関するラッセル法廷が 開かれたときに、フランスのドゴール政権は、ラッセル法廷参加のためフランス国内を通過しようとしたメンバーの通過ビザ発行を拒否して、開廷を妨害しよう としました(これらの当時の状況やラッセル法廷の意義や経緯については、サルトルの卓抜な洞察力と緊迫感の溢れる見事な文章がその評論集『シチュアシオン VIII』(人文書院刊)の中に収められています。)。さらには、当時のヨーロッパ各国政府はこの法廷が自国で開廷されるのを嫌がりました。法廷の担い手 たちは、限られた少人数だったので、開廷まで多くの困難があったことでしょう。しかし、2009年のラッセル法廷はどうかといえば、開廷の記者会見にフラ ンス大使までもが参列しており、多数の重要な人々が支援委員会に参加しています。これは、40年を隔てた時間の流れの中で、公衆はもちろんのこと、政府関 係者の中ですら、人権を擁護したり、戦争犯罪に抗議することの重要性を重んじる意識が少なからず育ったことを意味しているのではないでしょうか?この意味 において、ラッセルやサルトルの試みは「無力」ではなかったのです。このような歴史的進展を逆行させないで、さらに推し進めていくためには、こうした民衆 法廷の結果を重視する私たち地球市民の国際世論が必要です。

なぜ、日本社会に生きる私たちが、イスラエル国家のパレスチナ人への戦争犯罪 に抗議する必要があるのでしょうか?それは、私たちを含めた国際社会が平和を享受するためには、国際社会における「公正さ」を追求することが絶対に不可欠 な前提となるからです。このような醜悪な戦争犯罪の違法性を告発することなく、無関心に放置しておくと、私たちも近い将来手痛いしっぺ返しを被ることにな るでしょう。
(文責:ミーダーン 鈴木)
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# by midan_filastine | 2010-02-11 20:47 | 視点

2010年 01月 06日
ガザ境界上での壁建設に抗議するエジプト大使館への要請文
【ガザ住民虐殺につながるエジプトの壁建設を止めるために】 

イスラエルによるガザ侵攻から一年を迎えた2009年12月、新たなガザ民衆虐殺作戦とも呼ぶべき動きが、今度はエジプトの側から進められていることを知り、私たちは大きな衝撃を受けています。

ガ ザの地下トンネルにおける密輸の防止と国境の管理権を口実に、エジプトがガザとの境界に遮断壁の建設を開始しました。「在英アラブ人権組織(Arab Organisation for Human Rights in UK)」が2009年12月21日に発表したレポートによれば、その壁は厚さ50センチ、高さ18メートルの鋼鉄の板で出来ており、ガザ地区とシナイ半島 の軍事境界線となっている「フィラデルフィア・ロード(アラビア語の呼称はサラーフ=ッディーン)」に沿って、地下20~30mの深さまで埋め込まれま す。全長10キロに及ぶ計画のうち、5.4キロの区間について、すでに工事が着工されました。同報告によれば、この壁はアメリカ製であり、建設工事は米軍 とフランス軍将兵の完全な監視のもとで進められているとのことです。

この壁が完成すれば、これまでトンネルを経由した物資の搬入により、 かろうじて生き延びてきたガザの人びとの状況は、絶望的なものとなります。ガザではこの壁の建設に対する連日の抗議デモの一方で、人びとがなけなしの現金 をかき集め、今のうちに何とか生活必要物資を手に入れておこうとする動きがあることが報じられています(12月23日付「アル=ジャジーラ」)。

ハ マースのスポークスマンは、この壁の建設がガザを壊滅的な状態に陥れるだろうと述べています。他方、あるイスラエル軍将校は、この壁が完成すれば武器密輸 を飛躍的に制限するだろうとの見通しを示した上で「この壁はハマースを狂気に陥れるだろう」と述べました(1月4日付「アッ=シャルク・ル=アウサト」 紙)。パレスチナ人をとことんまで追いつめ絶望的な抵抗を強いた揚句、先鋭化した一部の抵抗のありようを口実にガザ全体の破壊に乗り出したイスラエルが、 再びそうした機会を待っているかのような口ぶりではないでしょうか。

すでにアラブ系の人権組織やイスラーム団体などからこの壁建設に対す る抗議の声明が出され、各国のエジプト大使館前で抗議や請願の運動も始まっています。イスラエルによる占領に反対し、パレスチナに正義と公正を求める立場 から活動を続けてきた私たち「ミーダーン<パレスチナ・対話のための広場>」は、駐日エジプト大使に対する以下の要請書の送付を準備しています。

私たちはこの問題に関し、新たな情報や行動提起などを、今後も発信してゆく予定です。

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駐日エジプト大使
ワリード・マフムード・アブドゥンナーセル様

私 たち日本の市民は、このたびのエジプトによるガザ境界上での遮断壁建設のニュースにたいへん驚き、衝撃を受けています。この壁が完成すれば、二年半の完全 封鎖のあいだ、地下トンネルによる物資の搬入によってかろうじて生き延びてきたガザ住民の生活が、決定的に危機的な状況に陥ることは明らかです。

壁 の建設について当初否定していた貴国政府はついにそれを認め、それが国民に対する安全保障上の義務行使であり、トンネルを通じた麻薬や武器の密輸を防ぐ目 的をもっていると述べています。しかしそのために貴国政府は、150万人のガザ住民を絶滅の危機にさらすことが正当であるというのでしょうか? しかも、 貴国が口実にしている地下トンネルは、ハマース政権の誕生後、貴国がガザとの境界を封鎖するという不法行為を続けてきた結果として、生存のためには他に選 択の余地がないなかで生まれた手段でした。地上での正常な往来が可能であれば、誰が危険極まりない地下トンネルなど用いるでしょうか?

確 かに国際法は、国境の内側にある領土に対していかなる改変を行なっても、それは主権国家の権利であるとしています。しかしそれは、隣接する国家や地域に対 する不法行為の行使が伴ってはならないという条件においてです。イスラエルに占領され、南と東をイスラエルに囲まれ、北側は地中海に面しているという地理 的条件にあるガザにとって、唯一の出口である貴国との境界に鋼鉄の遮断壁を埋め込まれることが不法行為でなくて何でしょうか。仮にトンネルの問題を抜きに しても、長年の占領に苦しめられ、一年前のイスラエルによる侵攻によって荒廃した生活を送るガザ住民を、政治的にも精神的にも完全に追い込んでしまう犯罪 行為です。すでにガザ住民が壁建設に抗議し、即時中止を求めるデモを連日行っていることは、ご存じのとおりです。

貴国はこれまでにもガザ を封鎖し、ガザ住民の生活を困難の極みに陥らせることにおいて、イスラエルと共犯関係にありました。それでもこれまで国際社会の非難がさほど貴国に向かわ なかったのは、占領を行なっているのはイスラエルであり、イスラエルの占領こそが貴国の誤った政策を導いていると考えたからです。しかし、貴国が壁建設を 継続し、イスラエルとともに新たなガザ住民虐殺に手を貸すのなら、貴国はイスラエルと同じ罪を犯すことになります。

私たちは強く訴えま す。エジプト政府は、ガザとの境界上での遮断壁の工事をただちに中止して下さい。そしてガザにおけるハマース政権誕生以来続けているガザの封鎖を一日でも 早く解き、ガザ住民がエジプト国内と自由に往来ができるようにして下さい。イスラエルによるパレスチナ占領に加担しないでください。

2010年1月5日 ミーダーン<パレスチナ・対話のための広場>
………………………………………………………

◎ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉
[郵便物送付先]
〒162-0823 東京都新宿区神楽河岸1 - 1
東京ボランティア・市民活動センター メールボックスNo.114
[メールアドレス]midan.filastine@gmail.com
[URL]http://midan.exblog.jp/
[郵便振替口座]00160-9-353912(口座名義:ミーダーン)
# by midan_filastine | 2010-01-06 05:51 | お誘い・ご案内

2010年 01月 01日
ガザ虐殺を繰り返させないための共同声明  ~賛同署名をお願いします~
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民主党・社民党・国民新党連立政権に対して
日本の中東政策の抜本的な転換を求める
ガザ虐殺を繰り返させないための共同声明

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イスラエルによるガザ大虐殺開始から12月27日で1年が経ちました。
しかし、相変わらず、「国際社会」は、ガザの封鎖も、入植地建設も、
黙認し、パレスチナ人の命と権利はないがしろにされ続けています。

これ以上、イスラエルによる虐殺を繰り返させないために、私たちは
日本政府に対して、従来のイスラエルを利するだけの「中東政策」を
抜本的に見直すことを求め、12月27日付けで、20団体の連名による
共同声明を発表しました。

民主党・社民党・国民新党連立政権に対して
日本の中東政策の抜本的な転換を求める
ガザ虐殺を繰り返させないための共同声明
http://palestine-forum.org/doc/2009/gaza.html

ウェブ上での声明への賛同者を募っています。
http://d.hatena.ne.jp/gazapetition/

また、同趣旨の外務大臣宛の要請署名も行いますので、ぜひご協力の
ほど、よろしくお願いします。

# by midan_filastine | 2010-01-01 07:28 | お誘い・ご案内

2009年 10月 28日
12月6日シンポジウム <危機>のネットワーク・治安管理/安全保障から日本とイスラエルを考える

お待たせしました!
ミーダーンの次回の企画の詳細が決まりました。

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<危機>のネットワーク
治安管理/安全保障から日本とイスラエルを考える
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■日時
12月6日(日)14時~17時30分(開場13時30分)

■場所
在日韓国YMCA 9階ホール 
(東京都千代田区猿楽町2−5−5/JR水道橋駅より徒歩6分、地下鉄神
保町駅より徒歩7分)
地図 http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/

■資料代 800円

■ビラ <PDF/872KB>

■問題提起
○イスラエルの対東アジア政策を考える 
臼杵陽(中東現代史/日本女子大学文学部教員)

○イスラエル化する日本? 監視国家体制のグローバル化 
小倉利丸(現代資本主義論/富山大学教員)

○核政策から見るアメリカと日本・イスラエルの関係
野間伸次(アムネスティひろしまグループ)

■企画の趣旨
軍 事力による建国と占領政策のなかで危機管理先進国となったイスラエルにとって、「9・11」後の世界的な管理・監視体制の進行は、強力な追い風でした。日 本においても「安全・安心まちづくり条例」が全国で制定され、防犯の大義名分のもとに人権侵害や外国人差別の正当化が進んでいます。
いっぽう、長 年イスラエルの核保有を黙認してきたにもかかわらず、イランやシリアに「核開発」の疑惑をかけて来たアメリカで、「核廃絶」を唱えるオバマ大統領が登場し ました。外交上のバランスを失ったイスラエルの核政策・安全保障政策がどの方向へ進むのか、決して楽観は許されません。被爆国でありながらアメリカの「核 の傘」に入り、「北朝鮮の脅威」を利用した核武装論が公然とまかり通る日本についても同様のことが言えます。
たがいに位置する地域の中で孤立しながら、アメリカとの二国間関係に大きく頼ってきたイスラエルと日本。両国の治安管理/安全保障政策を検証することで、イスラエルと日本とを同時に問い直す視角が見い出されるのではないでしょうか。


■主催
ミーダーン<パレスチナ・対話のための広場>
[郵便物送付先]
〒162-0823 東京都新宿区神楽河岸1 - 1
東京ボランティア・市民活動センター メールボックスNo.114
[メールアドレス]midan.filastine@gmail.com
[URL]
http://midan2006.web.fc2.com/
http://midan.exblog.jp/
[郵便振替口座]00160-9-353912(口座名義:ミーダーン)

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