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2007年9月3日 (月)   印刷用ページ
by gyaku  

1966年、最初の原子炉が稼働してから約40年が経った現在、日本には55基の原子炉が存在する。1968年に原子力の世界に入り原子力の実態を知った小出裕章氏は、その歴史の中で一貫して原子力発電の廃絶を訴え続けてきた。gyakuは京都大学原子炉実験所に小出氏を訪ね、お話を聞いた。

 

原子力の夢と現実

 

gyaku(以下g):1968年に東北大学の原子核工学科に入学されましたが、高校生のころから原子力の道に進むことを決めていたのですか?

小出(以下K): はい。原子力に命をかけようと思っていました。私は東京で生まれ育ったわけですが、当時東京では原爆展がしょっちゅう開かれていました。その一方で、原子 力にも注目が集まっていました。そんな中で私は、原爆のように恐ろしいものはあってはならないし、日本は核の平和利用の先頭に立っていかないと強く思った んです。私にはその使命があると思っていました。

g: そして1970年には、そのまったく反対の運動に参加します。何があったのですか?

小出氏
小出裕章氏(京都大学原子炉実験所にて)

K: 当時は大学闘争の時代でした。私は中学・高校時代から、保守的でまじめな学生で、中・高では皆勤でしたし、大学でも学生服を着て一時間も授業を休まないと いう感じだったんです。だから、学生運動も、初めのころは「勉強するのを邪魔されている」と思っていたくらいです。それと同じころ、女川に原子力発電所を 建設する計画が持ち上がり、地元住民が反対運動を始めたんです。原発に夢を抱いていた私の目には、これはとても不可解なものに映りました。女川で作られる 電気のほとんどは仙台市とその周辺で消費されます。それならなぜ仙台に原発を作らないのかと疑問に思い、あれこれ調べてみた結果、原発が危険なものである からということを知ったのです。そのころの世論は「原子力は安全だ」というもので、私もそう信じてきたのに、現実まるでそうではなかったことに気がついた わけです。そうして、原子力がどのようなものであるかを知り、1970年10月23日、女川原発の反対運動に参加しました。

g: 原子核工学科ですから、当然まわりは原子力を勉強している人達ばかりですよね。その中で反対運動に参加していた他の学生はいましたか?また周囲の反応はどうでしたか?

K: 反対運動の参加者はほとんどいないに等しかったです。私の他には先輩で今も活動を続けている篠原さんという人がいました。周りには気違いのように見られましたし、大学教授とも議論が絶えませんでした。でも、科学的な議論ではいつも私たちが勝っていたんです。

g: それでも、教授たちは原発の安全性を疑問視したり、建設に反対したりはしなかったんですか?

K: 彼らはよく自分たちの負け議論の後にこう言っていました。「俺には養っていかなくてはならない妻や子どもがいるんだ。」そう言って逃げるんです。

g: でも、私たち一般人だけではなくて、国の調査でも、そのような科学者の調査結果や「専門家」の見解を頼るしかないですよね。そうして事業計画が進められていく。例えば、辺野古のヘリポート建設予定地でも、科学的調査の結果に基づいて建設を検討するといっていますけど。

K: 科学というのはいつも社会とつながっていて、科学者の責任は重大なのにもかかわらず、そういう認識をもってやっている科学者はあまりいません。科学とその 社会的関連をまったく切り離しているのです。そうやって科学者や大学教授は「科学的領域」に逃げ込んで自分たちの立場を守ろうとします。その社会的インパ クトなどまったく無視です。いわゆる「専門ばか」になっていくんです。

g: 原子力分野で反原発の立場を取っていると、学会などとのかかわりも難しくなるのでは?

K: 以前は、原子力学会の会員でした。しかし、副学会長に元関西電力社長が就任したとき、私は脱会しました。学会とは言えども、利益集団のようなものもあるんです。関西電気が供給している電気の60%が福井などの原発で発電されているんですよ。

原発問題は差別問題

g: 小出さんは、「原発問題は差別の問題」とおっしゃっています。

K: 女川の件もそうですが、原発のほとんどが大都市に電力を供給するために周辺の過疎地に建てられています。また、オーストラリアやアメリカなどで原発の燃料 であるウランが採掘されている場所でも、多く場合は現地の先住民族が影響を受けているのです。あまり知られていませんが、日本でもウラン鉱山があったんで す。岡山県の人形峠というところで1950年代にウラン鉱床が発見されたのですが、結局10年間で85トンしか採掘できませんでした。今ではその地域は汚染土でよごれてしまい、裁判にもなっています。

noname
京大原子炉実験所

g: 世界中の様々な場所を見ても、原発産業というのは差別と深く結び付いています。アメリカ、オーストラリア、カナダ...その様な差別を受けている被害者たちが連帯した世界的な動きというのはないのでしょうか?

K: 細いつながりはあると思いますが、ほとんど無いに近いでしょう。いろいろな場所で先住民が安い労働力として使われ、しかも彼らの土地には汚染土がばらまかれています。それでも世界のそいういった被害者の横のつながりはあまり強いものとはいえません。

g: でも現地ではそれぞれの場所で声があがってはいるのですよね。この先、この状況は変わると思いますか?

K: 人間は踏み付けられないと分からない生き物です。そういう状況下に置かれた人びとが増えてきたら変化は可能かもしれません。高知県の東洋町で放射性廃棄物 の最終処分場誘致をめぐって討論会が開かれた時には300人以上が集まりました。人口およそ3000人余りの町での300人です。この率を東京の人口に当 てはめて計算すれば、物凄い人数ですよね。その人びとの力が集まって、東洋町は処分場建設を撥ね退けたのです。

大きな力につぶされない

g: 小出さんは各地で講演会や討論会などを行ったりと、とても活発に活動されています。その中で、推進派の人物と手紙のやりとりをしているとを聞きましたが。

K: このと始まりは、私がテレビ朝日に出演したことです。私が訴えてきた東海地震震源地上に建っている浜岡原発の危険性をテレビ朝日が番組で取り上げたので す。放送後、テレビ局側にある団体の代表から原発批判をしたことに対する脅しがいったのです。テレビ局は波風を立たせないよう適当にあしらおうとしていた のですが、私は「文句があるのなら私に直接回してください」といいました。というのも、私が一番恐れていたのは、この様なことが原因でマスコミが自主規制 してしまうことでした。その後、東京での高速増殖炉もんじゅの公開討論会の後、その人物が私宛に手紙を送ってきたのを機に、手紙のやりとりが始まりまし た。その全ての一部始終はウェブサイトに掲載しています。

g: 小出さんは、もう40年近く日本から原発をなくそうと活動されてきました。その間に50基以上の原発が建てられました。それでもくじけずに活動を続けられるのはどうしてですか?

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高尾山での野外講演会で

K: 私の活動の歴史は敗北の歴史です。それでも私がくじけないでいるのは、さっきお話した女川原発の反対運動で一緒だった篠原さんの存在があるからです。私と 篠原さんは今でも反原発運動を続けていますが、それぞれ違う道を選びました。彼は原子力の世界にいることを拒み、教授たちのように「言い訳を言わなくても いい世界」で生きていこうと、大学院を退学し土方になる道を選びました。しかし、私はそれには賛成できませんでした。ひとたび原子力の世界へ足を踏み入れ てしまった者として、科学的知識をもって原発廃絶を訴えるべきだと考えているからです。そうやって私たちは互いの活動を見守ってきたのです。だから、彼が 見ている以上、私は途中でやめるわけにはいかないんです。

g: これからの小出さんの展望は?

K: これからも私の立場は変わりません。地球の歴史に比べたら、人間の存在はとても新しいのです。そして、電気の使用が始まったのはほんの産業革命以後、ここ 200年ほどのことです。考えを改めなければ、私たちは間違いなく滅亡します。考えを変えるということは、どこまでこの問題について認識できるかというこ とでもあります。原発問題を考えていくと、さまざまな問題が見えてきます。私は原発問題を「反対」ではなく「抵抗」の場だと考えています。それは、先ほど も言ったように原発問題は差別問題だから。原発反対派の人びとの中には「脱原発」、要するに原発を必要としないライフスタイルを掲げている人びとが多くい ます。それはそれでいいと思います。しかし、私はあくまでも「反原発」で抵抗しているのです。国や大きな組織につぶされないよう、抵抗しなければいけませ ん。世界人口のたった4分の1の人間が地球のエネルギーのほとんどを消費しているということ、そして日本では原発によって誰かが苦しめられているというこ とが見えるようになれば、少しは人びとの判断や行動も変わってくるのではないでしょうか。

 

 

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